釜山アジア大会参加録 2002年9月25日〜10月6日(入村期間)
相変わらず韓国の道路事情は酷いもんで渋滞の嵐です。射撃場までの移動に関して言えば選手村から射撃場まで常に2時間前後かかります。毎日往復4時間は移動に費やしておりました。一番時間がかかった時で3時間30分くらいバスに缶詰です。いつも移動時間は寝てました。時間的に言いますと毎日、二本松の射撃場(福島県)⇔浦和(埼玉県)に行っていたようです。
居住区の場所に関しては色々な見方がありますが私の見解はけして良い位置を提供されているとは思いませんでした。確かに食堂の正面の建物でしたが正面ゲートからは一番離れていて本来ならば韓国が入るべき位置です。もっと最悪な場所もありますがシャトルバスに乗るまでにかなり歩きます。この居住区の位置は韓国が参加国をどのように思っているかが良くわかるところです。つまり日本には良い場所を提供したくないが文句が出ないように食堂に近いところを提供して正面ゲートから遠いことを相殺する。食堂何なんて1日に何回も行くところではないので移動のことを考えると正面ゲートに近い場所に居住区を提供された国が韓国にとっての友好国なのでしょう。ちなみに韓国の居住区は日本よりも1区画ゲートに近いところにありました。広島大会を例に出しますと日本の居住区は正面ゲートから最も遠い場所にあり「ホスト国たる者こうであるべき」を全て実践していました。これも「自国に有利な環境を」の原則から言えばかっこ付け過ぎなのでしょうが韓国は日本と中国とのメダル争いを繰り広げるわけですからゲートまで歩かせて疲れさせる作戦に出ているとしか思えませんでした。居住区割りがどのようにして決定しているのか知らないので憶測で言っていることですが朝の移動にかんして私個人は一苦労でした。
手前の建物は韓国様式の茶室のようです。ここでお茶会が無料で開かれていました。
ここでは、韓国の伝統工芸や韓国菓子、キムチの試食等を行っていました。
ここは縄細工のブースです。
ここでは、シュロ?の葉っぱを利用してバッタを作っていました。きっとその昔、韓国の子供はこんな遊びをしていたのでしょう。
選手村の広場では選手を歓迎する踊りが毎日行われていました。
ここは選手村の中にある民族資料館です。
確か天下女将軍とか書いてあったようなきがします。

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