2010年で18年目に突入した私のクレー射撃

私は1992年の5月に所持許可を取得し今年で射撃暦18年になります。
初めの1年半はスキートをやっていて公式戦も参加していました。最高成績は86点でAクラスを撃つことはできませんでした。その後トラップを始めました。
今でもたまにスキートは撃ちますがいまだに満射は撃った事がありません。そのうちスキーとで公式戦も出てみようかとも思いますがまだトラップでやり残していることがあり、その課題をクリアーするまではスキートの公式戦再デビューはお預けですね。

トラップに転向した時は、すでに日本クレーに所属していましたのでトラップに転向後も1993年の8月から公式戦には参加していました。その半年後の1994年の1月に群馬公式で90点(25-24-21-20)を撃ちAクラスに翌年昇格し、1994年の広島アジア大会で行われた新種目のダブルトラップの予選会に参加し新参者ながら予選を突破して代表になったのがきっかけでトラップとダブルトラップの両方に取り組んできました。

ダブルトラップはトラップやスキートと違い競技性が非常に強くゲーム性が低い競技です。逆に日本国内においてはそこが落とし穴となり当時の私のような新参者でも付け入るすきがあり元々トラップの2の矢の訓練の一環として始めたものでしたがこれがきっかけとなりナショナルチーム入りし海外遠征に参加するようになりました。当時はMQS(オリンピック出場最低資格基準点)を撃つことが最大の目標でしたが1997年のソウルWCに参加した時に自分の中ではっきりとした意識の違いに気が付きました。

この年は3月にトップガンクラブでオーストラリアに連れてってもらい、1995年のソウルWC、千葉WC(転戦)参加の際に知り合いとなったラッセル・マーク氏の射撃指導と彼の射撃を真後ろから見せてもらい、また本大会でダイヤモンド・マイケルを筆頭にオーストラリアのナショナルチームの射撃を目の前でじっくり見て世界でトップクラスの選手と国内でトップと言われている選手の決定的な違いに気が付きました。

ラッセル・マーク氏、ダイヤモンド・マイケル氏は共にオーストラリアを代表するクレー射撃のゴールドメダリストでありトラップ、ダブルトラップの2種目に常にエントリーして両方の表彰台に上がる選手でした。
ヨーロッパでは専門種目選手の育成と言う方針から2種目にエントリーする選手は少ないですがアメリアやカナダ、オーストラリア、中東、中国などではダブルエントリーが一般的でした。

このオーストラリア遠征をきっかけに海外派遣の時に注目する選手の射撃の見方が変わり、また自分自身の射撃の追及すべきポイントを見出しました。
当時、海外遠征はトラップ⇒ダブルトラップ⇒スキートの順に競技が進められることが多くダブルトラップ組みはトラップ組みと一緒に渡航する事が殆どでした。前乗り段階で非公開練習をしてトラップの競技中はOFFとなり射撃場に出向き据銃練習をしながらトラップの試合を観戦しました。

私が注目していた選手は当時15人位いて私が気が付いた射撃の極意を盗むべく食い入るように観察しました。
1997年当時、特に注目していた選手は下記の選手です。
1.ラッセル・マーク(オーストラリア)
2.ダイアモンド・マイケル(オーストラリア)
3.イアン・ピール(イギリス)
4.リチャード・フォールズ(イギリス)
5.ベイド・ランス(アメリカ)
6.アルバーノ・ペラ(イタリア)
7.ペリエロ・ジョバンニ(イタリア)
8.アリポフ・アレクセ(ロシア)
9.アルデハニー(クウェート)
10.Khalid Almudhaf(クウェート)←読み方が分からない

このほかに1997〜2000年にMQSで参加していたBチーム組みでも私が気が付いた極意がこなせている選手がいました。
1.ダルビー・ホーキン(スウェーデン)
2.ダニエル・ディスピーニョ(イタリア)
3.エラー・ウォールト(アメリカ)

上記に上げた選手はその後オリンピックのメダリストであったり世界チャンピオンであったり、私の目に狂いはありませんでした。


1997年以降の海外試合に参加して意識が変わるきっかけは、まず大会に参加しているだけの選手と表彰台を狙ってきている選手の2極化であり自分がどちらに属しているかでその遠征の意味が違うと言う事に気が付いたことが発端でした。

今までは自分も「運がよければ、実力を出し切れればMQSは撃てる」位の気持ちでした。
ところが世界のトップシューターたちを観察することにより表彰台への意識が伝わり「何をしにここにきているのか?」と言う意味を教わりました。

そこで周りを見渡すと先の2極化の現状を見たのです。そこで初めて自分は「日本の代表で日の丸を揚げに来ているのだ」と言う意識に変わり射撃に取り組む姿勢が変わりました。

これは国内の本部公式などでも同じことが言えます。ただ参加している人⇒もしかしたらファイナルに残れるかも?と考えて参加している人と、基準点を撃ちナショナルチーム入りを狙っている、今回は絶対に優勝するんだ!と言う気持ちで大会に参加している人とでは、その到達できるポジションは大きく違うでしょう。

実際に当時も今も遠征を振り返って見て私の主観で日本国内の選手で、そのような気持ちで海外遠征に臨んでいる選手は一握りに思えます。
もちろんそこに気が付くには私同様、何回かの遠征経験が必要なのかもしれませんし、そのような訓示をナショナルチームの監督や強化コーチから聞いていても心の底から、そのように思うのは難しいのかもしれません。

しかし、本人がそのことを自覚して大会に臨まなければQPの獲得は難しいでしょう。
逆に言えばそのような気持ちで大会に臨んでいる選手にとって大会参加の意識の低い人がいるとチーム全体がダメになると考えます。

ですから大会に参加するからには必ず高い目標を持ち実現するには自分の出来る事、すべき事を明確にして一生懸命取り組む必要があります。

その結果は達成しても、出来なくてもやるべき事をやり切れたのならば満足感は得られるはずです。
達成できなかった時は反省点を反省し同じミスをしないように次回に反映させる努力をするのです。


海外遠征で世界のトップシューターは何故外さないのか?と散々考えましたが、それは当たって当たり前なのだからと簡単に結論付けられます。

例えば、ある程度のレベルの射手ならば射撃教習で行うストレートの様なセットならば落ち着いて尚且つ集中して撃てば満点は出ると思います。もちろんストレートと言えど気を抜けば外す事もありますが「落ち着いて尚且つ集中し」ですので当たると思います。

彼らは公式セットでも同じ感覚で射撃をしているのでしょう。私もジャパンルールくらいのセットならば、かなり自信があります。しかし公式セットとなると話は変わってきます。
ここで違うのはいったい何か?実は何も変わりません。つまり同じに撃てば良いのです。しかし角度とスピードの難易度が上がるために目であったり振り出しのタイミングであったり、そのスピードによりクレー放出の残像にだまされて同じに出来ていない事に気が付きます。

それを同じにするには「我慢」が必要であり、つまり公式は我慢大会であると言えます。しかしその我慢の度合いを軽減するのが先に書いた「極意」でありおそらくクレー射撃競技において最も重要な要素なのでしょう。

その極意とは上半身の作りと動きであり特に縦方向のスイングでの「リフト」が鍵となります。この上半身に10年取り組んでいますがいまだに決定稿が出ません。
2006年にかなり近いところまで来ましたがそのオフシーズンにそれをもっと研究して煮詰めなかったために感覚でしかイメージが残らずその組み立てや理論的な仕組みを確立する事はありませんでした。

世界のトップシューター達の上半身の動きは例外無くこの動きが出来ていて、しかもリコイルパットは上半分のみ減っています。しかも銃を見せてもらうとピッチダウンは意外と浅めであることに気が付きます。
最近では中山由起枝選手のパットがこのように減っていることに気が付きました。
かと言って一般的にピッチは深めに設定しないと通常では銃が跳ねたり、上を撃ったりしますので浅めに設定する事はお勧めしません。
要するに上体が起きて後ろに重心移動する人は浅めにしてはいけないと言うことです。

私の現状は今現在でも出来たり出来なかったりです。
どの筋肉から動き出すのか?その力の配分、目の焦点と視界の広さ、照星がクレーに寄る時のビュー、これがある程度決まれば再現可能と考えています。

今年もこの上半身の作りと動きをマスターすべくクレー射撃に取り組んでいく予定です。


                               2010年1月   小林庸一