釜山アジア大会参加録 2002年9月25日〜10月6日(入村期間)
選手村が大会終了までの生活スペースとなりますので、快適に過ごすため各国の選手達は色々工夫をしています。特に枕は重要だったようです。選手村の近くにスーパーマーケットがあり買いだしに行く選手が多くそこで一番売れていたのが、枕でした。部屋にあった枕は非常に硬いため寝違える人が続出した模様です。きっと大観期間中にこのスーパーで一番売れたのは枕だったはずです。そして選手村による経済効果は年間売り上げを前年比の倍以上にしたはずです。
ところで、通常は前のページで説明したようにADカードを初めに作成しその後入村という手順が基本なのですが、北朝鮮選手団のみこの手順をパスしたようです。亡命や逃走を避けるために選手を乗せたバスは空港から直接居住区に横付けされ監視下のもと入村をしました。テレビ等で写っている自由奔放な北の選手団のほとんどがコーチとコーチという名目の監視員または特殊警察官なのです。基本的に北の選手に自由は存在しません。
日本選手団の居住区は101棟と102棟です。クレー射撃は101と102棟にそれぞれ分かれて入居しました。入り口にいる人は韓国人ボランティアの方で24時間3交代制で警備をしています。
選手団の支給されるユニホームや靴はみんな同じなのでどれが自分の物かわからなくなります。そこで私は選手村についてすぐに空きダンボールを利用して下駄箱を作りました。これは広島大会の時に伊藤総一郎さんが同じ理由で製作していたのを思い出したからです。この下駄箱が出来てから混乱は解消されました。
居住区は23階建てのマンションで3LDKとなっています。
これは、日本チーム専用ランドリーです。韓国国内のテレビCMで頻繁に宣伝している最新型でした。
居住区のエレベーターの周辺や中にはいろいろな情報が張り出されています。
これはエレベーターの中です。毎日、誕生日の人を張り出していました。

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